【矛盾】
こんにちわ(o^∇^o)ノ
秋の陽射しが、やっと、周辺環境の中にも馴染んできたように感じています。
ちょっと、哲学的な・・(^^ゞ話しと聞こえてしまうかもしれませんが、「自然」とのふれあいの中で私自身が感じ得た・・・不思議なこと・・「矛盾」について少し話しをしてみたいと思います。
この世に生まれてきた目的は・・といえば、先日記事にしましたが【生きること】、そのものが目的なんだと思っています。(*^^)
これは、【人】という存在が・・何か特別なもの・・と考えてしまうと、「他に目的や使命があるはず・・」と思えてしまうのかもしれませんが、自然界を見渡してみると「生命力」を宿している生き物達は、「人」以外にも多数存在しています。
それらの姿を見ていて感じるのは・・やはり・・【生きること】を目的として、この世に生まれてきたんだなぁ〜ということなんですよね。
「人」も他の生き物達もやはり同じ、生命力を宿した存在なわけですから・・「人」も【生きること】が目的として存在していると考えるほうが、自然なのではないでしょうかね。(*^^)
おそらくは、「生きること」を実践している中で、必然的に様々なことを学ぶことにも繋がりますし、また、様々な経験を重ねることになるということが実体なのだと思います。この順番はしっかりと、間違わないように理解しておきたいと思います。=*^-^*=にこっ♪
さて、ここから本題となりますが、「生きること」を継続していくために・・できれば「生きやすく」「障害の少ない道」を歩んでいきたいものですよね。これは多くの方が望むことだと思います。でも、実最にはかならず「多くの障害」が常に存在しているとともに、周期的に災難と呼ばれるような出来事にも遭遇するものです。
「生きていきやすい状況」
を造るということは、いったいどうゆうことなんでしょう。
結論からいうと・・
「どれだけ多くの矛盾を自分の中に持つことができるか」
「多くの矛盾を持つことができる人ほど、生きやすい人生を歩んでいける」
のではないかと思っているのです。(^^ゞはは。なんか・・それこそ意味不明かもしれませんね。
人生を歩んでいく上で、「多くの障害は必ず、どんな人にも・・何度も何度も存在しているもの」というのは、多くの方にも理解していただけるのではないかと思うのですが・・。
それでは、こういう状況で「生きやすい」と感じる道を歩むということは何か・・を見出そうとしてみるときに「3つ」の方法しかないんですよね。
まず大前提として「障害の無い道」・・というのは存在していませんので、「障害の無い道を探す」といった選択肢は存在していません。(^^ゞゆえに・・これは除外。\(・。\)ソノハナシハ
(/。・)/
となるとまずは
「障害を避けようとする」
といった行動と思考があります。
ただ・・これではいつまでたっても「前」に進みません。ときにはこの「障害を避ける」という行動が必要なときもあると思います。でも、かならずや、いつかはその障害を乗り越えなければいけないわけです。一度「障害を避ける」ことができたとしても、かならず同じ性質の「障害という壁」がまたやってきます。
これではいつまでたっても、前に進めないことになりますから、人生を生きにくくしてしまっているようなものですね。(^^ゞ
次に
「障害という壁を壊して進む」
という行動と方法があります。
これであれば、前進することはできるのですが・・その分、多大な労力やエネルギーが必要なのに加えて、「壊してしまう対象」が存在していますから、その「壊されてしまった対象」に関連する存在
から、さらに継続的に様々な【負】のエネルギーを受けることになってしまうのです。「恨み」「憎しみ」などもその1つですよね。
それがさらに強大な「壁」となって立ちはだかってくるわけですから・・・とても「生きやすい」という道とは思えません。(^^ゞ
そこで3つ目の方法なのですが・・それが・・
「障害という壁を障害として認識しない」
という行動と方法です。一般的には「障害という壁を乗り越える」という表現がありますが、実はこれと同じことを意味しています。
でも・・・実際の感覚としては、もともと「石の壁」として目の前に立ちはだかったものが、「障害であるという意識」を持たなくなったときに、「水の壁」となって・・そこを通過していくことができる・・そんな感じで思い描いています。
それではこの「障害として意識しない」ということは何を意味するのか・・ということになりますが、ちょっと説明が難しく・・長くなってはいけませんので、単純に言いますと・・。
【相手の存在を認める】
【その状況を全て認める】
ということなのです。=*^-^*=にこっ♪
ここで誤解があってはいけない・・大切な要素があるのですが、「相手の存在を認める」「状況を認める」という意味は、「自分の思考や理念に取り込む」という意味ではありません。
簡単に例えていうと・・
「相手の言っていることや考え」が自分の考えとしては、「正しくないこと」「理解できないこと」と思っていたとしても、「そういう考えを持った人(存在)もいるのだ・・ということ」「違った認識を持つものが存在している」ということを、認めてあげるということなのです。
これが実行できれば、「障害として存在している壁」は・・「障害として意識されない存在」となるんです。
これを別の言い方で表すと・・。
「自分の中に多くの【矛盾】を抱えること」
と言い換えることができるんですね。それはそうです・・(^^ゞ、実際には理論的・感情的に自分としては、「そうは思わない」「理解できない」といった事柄に対して、「そういう思考を持つ存在もある」という形で、認識していくわけですから・・自分の中に沢山の【矛盾】が蓄積されていくわけですから。
ちょっと不思議に思うかもしれませんが・・
「自分の中に沢山の【矛盾】を抱えることができた人」こそ、生きやすい人生を歩めるということなのだと思うのです。
ただ実際には、これを常に実行する・・というのが難しいものなんですよね。(^^ゞまあ・・逆に考えれば、これを簡単にいつでも実行できるような人は・・わざわざこの世に生まれてくる・・なんてことはないと思いますから。
どうしても・・人は・・常に・・
「どちらが正しくて・・どちらが間違いで・・」
といった思考になりやすいものです。私も度々・・そういう思考になります。(;一_一)ははは。
もちろんそういう思考を持つこと自体は、当たり前のことなのでしょうが・・いかにそこから、次の一歩として、「相手を認める」という思考を持てるかがポイントということになるのでしょう。
おそらくは、多くの人々がこんな思考と行動をもてるようになったなら・・戦争などは絶対に起きないのだと思うんですけどね。(*^^)
そのためには・・。目の前に「障害という壁が訪れたとき」に、まずは、その「壁」をしっかりと見つめることが最初の一歩となります。
「どういう意図で・・ここに存在しているのか・・」
「どんな性質の壁なのか・・」
次に「その存在を認めてあげ・・・・【矛盾】を自分の中に蓄積しましょう」。
「壁・・と最初意識したものはかならず、自分の考えとは相反する存在」のはずですからね。
こう考えてみると・・人生って・・【矛盾】の意味を知り・・【矛盾】をどれだけ多く抱えることができるかということが共通の要素なのかもしれませんね。(ノ*∂0∂)ノ
オオオオオオォォォォォ〜♪
逆に・・「生き難い」人生というのは・・【こだわり】【固執】を多く抱えることなのかもしれません。
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